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些細なことでケンカする人たち

結婚したてのカップルの愚痴というのは、はたから聞いていると「そんなことでケンカしたの?」とあきれてしまうようなことが多いものです。
でも、こういうことは長年の習慣や育った環境で醸成された感覚がもとになっているのでなかなか簡単には解決しなさそうです。

例えば、

うがいを台所で、しかもイソジン入れてするなんて信じられない!とか
脱いだ靴下をソファーの奥に突っ込む癖がゆるせない!とか
納豆食べた箸で果物を食べる感覚が理解できない!とか
無神経(と感じた)ことで生じるいさかいってパターンがあります。

あるいは逆に
散らかってるように見えても自分の中では秩序があるのにすぐ掃除しろと言われるのがきにくわない、とか
ちょっと賞味期限すぎてるだけでバシバシ食品を捨てるのが嫌、とか
衛生放送の契約をお試しでしただけで「無駄遣い」とケンカになった、とか
相手の几帳面から感情悪化するパターンもよくあると思います。




こういう「些細なこと」というのは、それがどっちになろうと死ぬわけでも大損するわけでもないのにも関わらず、ストレスのもとになり、脳のリソースを消費させ、そして幸せな共同生活を蝕むいさかいに元になることすらあります。

仕事でも同じ事で、
「行間が微妙にそろってないのが許せない」とか
「フォントがちょっと揃ってなかっただけで資料を全部やりなおしさせられた」とか
「資料のホッチキス止めはナナメじゃないと許せない」とか

どうでもいいと自分は思っても、同僚のストレスのもととなるなら、やはりそういう些細なことでも気にする必要があるかもしれません。

こういう些細なこと世の中にあふれていますし、ストレスの原因となり、生産性を低下させ、チームワークを蝕む原因となったりするので厄介です。





考えてみるに、そうした「些細なこと」のストレスは、人間の脳の動き方に由来するがゆえに簡単にはなくならないのかな、と思います。

というのも、人間はできるだけ「自動化」して物事を考えたり判断したりしようとする生き物であり、また一度自動化したプロセスを変えることに強いストレスを感じる傾向があるからです。

例えば、「うがい」や「納豆のついた箸」を「汚いモノ」と分類して「キッチン」や「果物」を「キレイなモノ」と分類している人は、両者が混ざることをとても嫌がります。

「この台所は広いし、飛沫が飛ばないようにそっと水を吐いているし、そもそもちょっとくらい飛沫が飛んでも感染症の原因になることはないだろうし、ここでうがいしても誰にも影響はないな。」とか
毎回考える人はそうはいません。

自動化されたカテゴリ分けや、ルール、タブーでほとんどのことを判断するとおもいます。


また人間社会は、文化という名の「自動化パターン群」に制御されています。
そのパターン群こそが、我々を無限に続く思考や議論から開放してくれます。
「玄関で靴はぬぐもの」というルールですが、「靴をぬぐべき場所を家の中で明確化する」というルールや「如何に靴底を洗おうとも土足は土足である」などなど結構細かい不文律に支えられており、それらは親から躾されたり見様見真似で覚えたりして一度そのルールを覚えれば、玄関という「キレイ・汚い」の明快な分界点がうまれ、それについて他者と議論する必要がなくなります。

私は子供の頃、玄関以外の場所から家に入ることに抵抗感があり、ベランダから入るとなんとなくタブーを侵している感覚がありましたが、それは「玄関」という清濁の分界点以外から「家」という境界に侵入する感覚があったからなのでしょう。

またその「境界」という感覚がまた、長い進化の中で培ってきた、なわばりというプログラムと関係しているところも味噌だとおもいます。(この話はこれだけでだいぶ長くなるので割愛します。)

そういう意味では、「常識」という大型ルールブックに書いてないが習慣化されている家族内「文化」の衝突が新婚のいさかいなわけで、それが大きなストレスのもとになるのも動物としての人間にとって宿命なのかもしれません。






<追記>

いわゆるコミュ障とか、ゆとり的な行動とかって、こういう「見えない自動化」が原因になっていることが多いように思います。
X=Yというパターンが強固にできている人(そしてそのパターンが外から見えづらい人)と話すのはとても骨がおれます。

いわゆるコミュニケーション力が高い人、というのはX=A,B,Y,Z、人によって色んなパターンがあることを理解しつつ無言のうちに他人のパターン認識にアジャストしてくる人のように思います。

私はこういう「他人の中に巣食ったパターン」を見つけることがとても好きだし、フィールドワーク感覚で楽しめますがね。

だからといってコミュ強者だと言いたいわけでもないですが。




<もう一つ追記>
フォントや行間をきっちりそろえないと許せない、という話の説明が抜けていました。
これは行やフォントというのが人間のパターン認識に深い影響を及ぼすことの裏返しだと思います。
フォーマットの小さなズレは(むしろ小さなズレこそ)人間のパターン認識能力に大きな負荷をかけるのでしょう。

そういう意味では「几帳面な上司」は正しいといえますが、まあクオリティが必要な場面とそうでない場面を判断して指示がだせない上司はホントつらいですよね。

コンテンツ⇔体裁のバランス感覚が上手で、体裁を気にせずポンポンとコンテンツを吐き出すこともできれば、カチッと体裁の整ったドキュメントも作り込める人を見ると「うっはー仕事できるな」と感心してしまいます。
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.29 2012
社会 comment(2) trackback(0)

comment

しほう
俺はむしろベランダから出入りするのが大好きだったけどな。玄関からしか入れないってのが気に食わなくて。サザエさんの勝手口にも憧れてたわ。
2012.03.31 10:27
あべ
>玄関からしか入れないってのが気に食わなくて

それはわかるわ。

まあ好奇心がある子供は裏口とか好きだね。

裏口が好き、って感性があると些細なことに振り回されない人生が送れるとおもったり。

ちなみに、実際の勝手口ってサザエさんほどよくはないと思ってた。
(自分の家にはなかったけど他人の家を見ての感想)
2012.03.31 10:57

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