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私って昔、精子だったんですよね。

以前に紹介した本


ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)
(1992/08)
本川 達雄

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この本を読んでいたら気になる文章があった。


 海産動物では、精子のときには鞭毛で泳ぎ、幼生のときには繊毛を使い。もっと大きくなると筋肉で泳ぐというのが、よくあるパターンである。われわれ自身を考えてみても、今は筋肉を動かして、クロールだ、バタフライだと水しぶきをあげているが、ごくごく幼かったときには、父親由来のの精子として、鞭毛を振り動かして、母の胎内を泳ぎ登っていた。サイズとともに泳ぎ方を変えることは、身をもって体験していることである。 (p.80-81)



 うーん、なんとも微妙かつおもしろ表現と思えのだが如何だろうか?


 記憶も残っていない胎児のころの自分も「自分か?」と言われると微妙なところだが、さらに遡って精子にまで至るとさらにアンビバレントだ。卵子に到達した精子の運んだ遺伝子は、未だに自分の各細胞で卵子由来の遺伝子とともに二倍体を形成して活躍していることを考えれば、半分は自分。といってもいい気がするけど、どっちかというと精子は単なる遺伝子の運び屋で、卵子の方がなんとなく本体のようにも感じられるので、なんともいえないところ。

 そんなアンビバレンス漂う中で鞭毛で泳いでいたことを「身を持って体験していることである」と結ぶところがなんとも乙な文章である。


 または、この表現を女性がするか?というとそれはない気もしてくる。

 つまり、精子にシンパシーを持つのは男性だけじゃないか?と思うわけ。

「何億も生み出されて卵子にたどりつけるのは1つだけ。
いやそれ以前にティシュやゴム袋の中にまるごと送り込まれて全部隊全滅する場合がほとんど。
一生全滅だけで終わる場合も。」

というような精子悲惨テンンプレートを見て思うところあるのは男だけなんじゃないだろうかね。それは「生殖細胞が私になった」という意識より生殖細胞を作って送り出す意識の方が強いからだと思うんだ。それだけに上記の文章の視点を「送り出す側」から「自分は昔生殖細胞だった」というポイントに移している点で面白いとおもいます。

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.08 2011
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2011.08.09 01:34

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京都在住の阿部です。 地図と薀蓄で一杯やりましょっ なんとなくデザインをもとに戻しました

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