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古代の和語はモノクロの世界


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(2006/02/16)
加藤 徹

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信号の「グリーン」は青なのか緑なのか、太陽は赤いのかオレンジなのか黄色なのか、人によって感覚違うよね、みたいな話がありますが淡く輝く月を「青白い月」と表現したり綺麗な髪を「ミドリの黒髪」と表現するのはどーいうこと?と思っていましたが、氷解。


「モノクロの世界」というとちょっと大げさですが、古代の日本語には実は色彩語がなかったという話です。



たとえば「あか」ですが、「赤し=あかし」は「あかるい」と元々同義であって「真っ赤な太陽」はレッドである必要はなくて明るく照っていることをさします。
「みどり」は和語「ミヅ(水)」の派生語だそうで「みずみずしく新鮮」な様子を指すゆえに「みどり子」「ミドリの黒髪」という表現が成立するとのこと。
「くろ」は「くらし」の派生語なので「暮れる」「暗い」と同様ですね。
「しろ」は「標るし」の派生語で、はっきり際立った様をさします。「知る」「しるし」と語源が同じというのは面白いですよね。


日本語の色名とその語源

「黄色」「茶色」のような「○色」として言葉が成立している色彩後は、おそらく色彩の概念が大陸から流入したあとで成立したものと推測されます。


このように、古代の和語には光度やコントラストを指す言葉はあるが色彩そのものを指す言葉は存在せず、しかも「あかし」「あおし」「くらし」「しろし」なんと4つ程度しか色を表現する言葉がなかったというのですね。


こんなに色彩豊かな島国なのに!と驚きがあります。

おそらくは古代世界には染め具のような人間が色彩をコントロールする術がなかったが故に、色彩そのものが自然物から抽出されて単体で成立する事がなかったのではと私は推測しています。考えて見れば、美しい花も摘んでしまえばその色は失われるように自然物から色彩だけを抜き出すことは大抵の場合不可能なのですから、文明なくして色彩が単体の概念になることもなかったのでしょう。

「太陽はあかるい!」「みずみずしい!」「日が沈んで暗い!気持ちも暗い!」という感動が言葉を成立させていた世界が古代和語の世界だったのだと想像しています。



私は日本語の起源関連の書籍は非常に好きですが、日本語には古代の人々の感覚や考え方が化石のように保存されている事があるということ、ほんとに面白いなと思います。


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.27 2011
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京都在住の阿部です。 地図と薀蓄で一杯やりましょっ なんとなくデザインをもとに戻しました

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