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「世界の工場」の不思議

中国のGDPが日本を抜いて、世界第二位になった事があきらかになったそうです。


へーっ、と思ったあとで、日本のGDPの成長率の推移をみてしまうと、
あまりの成長鈍化に改めてびっくりしてしまいます。

Real_GDP_growth_rate_in_Japan_(1956-2008)_convert_20100823211357.png



中国の実質経済成長率(GDP成長率)推移との比較を見れば、まあ抜かれるのは当たり前だったとわかるわけです。


中国の急速な発展とか、インドのIT産業とか、ものづくりの空洞化とか、もうだいたい、世間一般の人は耳にタコができるくらいに聞いていると思うし、ネットをしてても、「日本はもうだめだ」的な悲観論はうんざりするくらい目に付くわけです。

大前研一の記事やブログがそういう方面については、参考になることが色々書いてあるように思います。



だけど、先日ふと気づいたのですが、一番驚くべきことは、中国のGDP成長率や日本の凋落なんかじゃないんですよ。

「なぜ日本や他の先進国は中国やインドに追い抜かれるのか」

じゃなくて、

「なぜ今まで中国やインドは他の小さな先進国に負けていたのか」


こっちの方が面白いし、たぶん考える価値があることだと思うんです。


その昔、「イギリスは世界の工場」だったのですが、その名の通り、例えば綿製品では19世紀中盤まではイギリス産の綿製品は世界中で圧倒的シェアがあったんです。今から考えると妙な気がしますが、当時イギリスはアメリカやインドから綿花を大量に輸入して、それを織ってまたアメリカやインドに輸出していたんです。
当時はコンテナ船もスエズ運河も、それ以前にまともな蒸気船すらありませんでした。だけどインドで育てた綿花はいちいちイギリスに運搬して製品にして、またインドに戻していたんです。


どうしてインドで作らなかったのだろうか?


いまでもそうですが、労働力は圧倒的にインドの方が安いですし、イギリス資本の会社が機械をインドへ輸入することにも問題はなかったそうです。綿製品なんて、他の工業製品にくらべればずっとローテクですしね。工場を造る資本だって十分ありました。


どうして、イギリス人の職は安い給料で働くインド人に奪われなかったのか?

実に不思議なことなんです。


まあこのあたりの話は、実は「10万年の世界経済史」という本の受け売りなんですが、
この本ではこの件について、「インドでは一人当たりの労働者の生産性がイギリスより圧倒的に低かったため、インド産の綿製品はイギリス産に対抗できなかった」という結論を出しています。

つまり、イギリスでは一人の労働者が最新の紡績機を8台同時に操業できるところを、インドでは一人で2~3台がせいいっぱいで、しかもすぐ怠けるので賃金に5倍の差があっても、ペイしてしまう、という状態だったいうのです。

実際に、ボンペイでイギリス資本による紡績工場はいくつも起業されたそうですが、最終的に輸入品を駆逐することはできず、20世紀に入ると日本からの綿製品が登場して一気に収益が悪化していき斜陽を迎えたようです。

この本に掲載の表によると、1907年から1938年の間に、日本の綿織物産業の労働者一人あたりの生産性は280%向上しているのに対して、インドでは106%に留まっています。日本はその昔繊維産業が主力だったのですよね。

そういった生産性や労働モラルのギャップがなぜ生じたか、については本書では結論はありませんでした。

また私はこの「労働生産性原因説」はまだちょっと納得できません。



いまでは、当たり前のように「工賃が安い中国で生産する」「インドへアウトソーシングする」時代になりましたが、立ち止まってみると、何ゆえに今まで我々の職は彼らに奪われていなかったのか、そっちの方が不思議かつ興味深いのでした。

10万年の世界経済史 下10万年の世界経済史 下
(2009/04/23)
グレゴリー・クラーク

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.23 2010
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京都在住の阿部です。 地図と薀蓄で一杯やりましょっ なんとなくデザインをもとに戻しました

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