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なんでゼロで割っちゃいけないの?

前回の投稿から2週間たちました。
5月から大槌で中学生に学習支援施設を再オープンさせるものですから、その準備でバタバタしていてブログやっていたこと事態をしばしば忘れます。学習支援といっても、中学生用に自習室をオープンして自習用教材で勉強させるだけなんですがね。なーんでこんなに忙しくなるんだろ。

はぁ。

まいっか。
ともかく今日はたまたまブログ書くこと思い出したので最近よんだ本のことでも書いておきますかね。



数量化革命数量化革命
(2003/10/29)
アルフレッド・W・クロスビー

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出版社/著者からの内容紹介
ヨーロッパ帝国主義が成功をおさめたのはなぜか?理由の一つは、中世・ルネサンス期に、人びとの世界の捉え方や思考様式が、宗教的なものから普遍的・効率的なものへと変化していたことだと著書は言う。暦法、機械時計、地図、記数法、絵画の遠近法、楽譜、複式簿記……広範な分野で並行して起こった、数量化・視覚化という革命が跡づけてゆく西欧精神史。



まっじで面白かったです。

そして、「数量化・視覚化という革命が跡づけてゆく西欧精神史」を眺めたあとにあらためて中学数学をやってみると、教科書が偉大な歴史書にも感じられるんですね。これもよかった。


たとえば我々がごく日常的に使うアラビア数字(0,1,2,3,4・・・・)と計算記号(+,-,×,÷)だって歴史を繙いてみて初めて如何に偉大な発明だったかが理解できる。

アラビア数字到来前のヨーロッパでは恐ろしく煩雑なローマ数字で計算していた。(例えば3999 は MMMCMXCIX)
そして計算記号がなかったために、計算過程を紙にかくときは「MMMCMXCIXとMCMX足すと合計は・・・」と文章で表現せざるを得なかった。まあ当時は商人なんかは計算版とかつかっていたので、紙(羊皮紙)に計算かくこともなかったのであろうが。



計算記号のイコール(=)も、中学でならう「移項」を思い出すと如何に革命的発明であるか理解できる。

たとえば3/x=3(X+1)みたいな計算、ぼくらは当たり前のように両辺をXで割ったりして計算するけど、これを中学生に理解させるのは結構骨が折れる。
なぜかというと、彼らはイコール記号を「合計は」とか「計算結果は」の意味と捉えており「両辺に同一の演算をおこなってもイコールは維持される」という概念をそもそも理解していないのである。

私自身、「移項」を初めて習ったときは強い違和感があった記憶がある。

本書の「イコールの発明は複式簿記の発明と関係があることは疑いがない」という記述をよんで初めてその違和感がとけたようにも思える。
移項というのは資産と負債をバランスさせる複式簿記の概念に非常に近いのだ。


そして3/x=3(X+1)
という計算にはもう一つ厄介な要素「代数」が存在している。
代数の歴史もおもしろい。
wikipedia:代数学


ああそうだ、「0では割れない」ことも忘れてはいけないですね。
3/x=3(X+1) には「Xは0ではない」というただし書きがいりますよね。



ゼロの概念を簡単に説明してください。

教育の現場にたっていると、

「なんでゼロで割っちゃいけないの?先生?」
「ぐぬぬ・・・・・」

みたいなことの連続なんだろなああ・・・・・・。


学習支援事業で私の役割は、どっちかというと事務局とか運営側なのでそういう機会も少ないのですが。

いやーげに教育というのはおそろしい。
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.27 2012
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「辛さ」という発明

感覚の問題というのは、感覚が先に生まれたのか、それとも言葉の産み出す先入観や概念が感覚を育てるのか、という複雑な問題を惹起するものですが、「辛味」という感覚もその点ではおもしろいテーマかなと思いました。

というのも、「からい」と英語で言う時の「hot」「spicy」がどうも腑に落ちないのです。
「hot」というと熱さの延長線(もしくは身体が熱くなる)に過ぎないですし「spicy」だと味覚だけでなく嗅覚も深く関与しているしスパイシーと言われるとむしろ胡椒やカレー粉のツーンとする匂いこそがスパイシーという感じがしてしっくりきません。
熱くて辛いものやスパイシーだけど辛くないものはどう表現すればいいかわからないのです。
要するに「からい」に相当する言葉は英語にはないということと思います。

とはいえ日本語の中においても、「からい」というのは先行して存在した「塩辛い=鹹い」から派生した言葉としてできているわけで、考えてみると昔から独立した地位が与えられてきたわけではないようにも思えます。
私なんかは年配の人が「からい」と言うとよく「ショッパイからカライかどっちなんだろう?」と悩みます。

また漢字で考えても「辛い」というのはツライのかカライのかわからないですよね。


札幌のスープカレー。何十種類もスパイスが調合されているが、辛さの度合いはチリパウダーの量で決まるので注文を受けてからでも辛さを変更できる。



また生理学的にも「辛味」は微妙な位置づけにあるようです。

wikipedia 辛味

現代日本では、社会通念上辛味は重要な味覚のひとつと考えられ、甘味、酸味、苦味、塩味と並ぶ5つの味(五味)のひとつとして捉えられている。
しかし生理学的定義によれば、狭義の味覚とは味覚受容体細胞にとって適刺激である苦味、酸味、甘味、塩味、旨味の5種(五基本味)をいい、辛味はこれにあてはまらない。神経刺激としての辛味の核心は舌・口腔のバニロイド受容体(カプサイシン受容体)で感じる痛覚であり、これに他の条件(トウガラシであれば、発汗および発熱)が統合されたものを辛味と呼んでいると考えられ[誰?]ている。近年、カプサイシン受容体が単離されたが、口腔内に特異的なものではなく全身に分布しており、また従来の味覚受容器とは別のものであるため、5基本味が6基本味になることはない。


要するに、カプサイシンの受容による痛みや体温上昇などの複合した感覚が「辛さ」である、のだが他の味覚とは違い独立した味覚受容体が舌に存在していないため狭義の味覚とはいえない、ということですね。

カプサイシン受容体は舌の上だけでなく、全身の皮膚に存在するとのことですが、私も以前ハバネロの実をまな板で切った後でうっかり目をこすってしまい激痛で1時間以上悶絶したことがあり、あのときにまさしく目や顔の皮膚でカプサイシンを満喫したのでした。
トウガラシも日本では最初、足袋の足先にいれて保温(霜焼け防止)に使ったともいいますし、甘いものや苦いものを肌に塗っても何も感じないのと違い、辛味というのは舌だけの専門ではないようです。

また他の味覚は、特定の物質群(甘み→糖 酸っぱみ→酸 苦味→アルカリ 旨み→アミノ酸 塩味→塩)と結びついているのに対し、トウガラシとワサビ、カラシに共通する刺激物質がないことから考えるに、は辛味というのは人間のみが持つ感覚であるとも考えられます。つまり辛味のセンサーというのは、糖分や塩の感知能力とはちがい、生命維持に絶対不可欠なセンサー機能とはいえないということです。




また、カプサイシンが話題になりましたが、そもそもカプサイシン即ちトウガラシというのは、16世紀にヨーロッパ人が新大陸からトウガラシ属の種子を持ち帰るまでは旧大陸には存在していなかったわけで、辛味の代表格である「トウガラシ」がなかった時代の「からさ」とはどんなもの何だったのだろう?という疑問が生じます。

新大陸からの植物の伝来はコロンススの交換とよばれますが、コロンブスの交換以前にはイタリア料理にはトマトはないし、インド料理にトウガラシはないし、旧世界のどこにいってもタバコはないしで、今日の料理における国民的趣向というのも実は歴史的にはそれほど深いルーツをもっているのではないのです。

昨日ラジオで北朝鮮と韓国の関係を評して、「おたがいに政治体制は異なっているが、ニンニクとトウガラシが血に流れている同胞だ」と話していましたが、それだけ朝鮮半島の文化に根付いたトウガラシも結局は400年そこそこの歴史なわけで、朝鮮民族数千年の歴史からすればごくごく最近のトレンドにすぎません。(伝来当初は「倭国から来た南蛮椒。ゲテモノ。」な扱いだったと言われています。)

今日の日本人にとっては、「からい」といえばトウガラシの辛さがまず浮かぶと思うのですが、トウガラシが庶民の口に入るようになった時代や、他の辛い食べ物(ワサビやカラシ)のレアさを考えてみると、歴史の大部分において日本人が感じていた「からさ」はだいたいダイコンとかネギ、ショウガの刺激だったのだろうと思います。
これも加熱すると大分緩和されるわけで、やはり日本人にとっては、「辛味」というのは実は歴史の中でごくごく最近になって登場した感覚/表現であることに間違いがないように思います。

それまでの「辛味」とは、「痛み」「辛み」であり、口に入ればすぐ吐き出したくなる食べ物の雑多な味覚のなかに紛れて数千年の時が流れ続けていたんだろうと私は想像しています。


トルコで撮影した唐辛子。


まあスパイスにあふれたインドや東南アジアだと状況は違うと思いますが、あれだけスパイスが多い国の人たちにとって「スパイシー」というのはなんの意味もない言葉なのだろうと思います。スパイスを表現する何十種類もの言葉がきっとあることでしょう。
中国でもからみには「辛」「椒」「辣」など何種類か言葉が昔からあったといいますので、ヨーロッパと日本というのは特にからいという感覚に深く斬り込むことなく今にいたってきたのでしょう。

それにしても、英語はもうちょっとマシな言葉を「辛味」に用意してほしいなあ・・・とは思うのですが。・・・

.23 2012
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夕張へ。  (第二部・夕張市内)

前回のつづきです。

地方の過疎・高齢化というのは実際に現地に旅行してみるとかなり厳しい状況を実感として感じることができますが、夕張の状況は一般的な過疎・高齢化とは一線を画すレベルで、して、50年間でちょうど1/10の激減が発生しています。

1960年 11万6千人 ※最多人口
1970年   7万人
1980年   4万1千人
1990年  2万1千人 (この年に最後の炭鉱が閉鎖)
2000年   1万4千人
2010年   1万1千人  (この間2007年に財政再建団体へ転落し、事実上の財政破綻)

夕張市の人口推移

夕張以外でも、歌志内や赤平のような旧炭鉱地帯の市は凄まじい人口減少を経験し、市なのに町や村より人口がすくないような状態です。

日本の市の人口順位

かつての炭鉱住宅はほとんど取り壊されて更地になっています。

大きな地図で見る


写真は載せづらいのですが、市内にはバラックのようなかつての炭鉱住宅が点在しています。

炭鉱住宅 イメージ検索




だけどなんとなく、こういう光景って北海道のはしっこの方で育った影響なのか、私にとってはちょっと懐かしいかんじなんですよね。


国道沿いに点在するこんなかんじの廃墟を、車の中からいつも眺めていたことを思い出しました。



無人駅。


だれもいない駅前。


このタイプの自転車ってまだ売ってるんですかね??錆ついてもいない綺麗な状態でした。



財政破綻の原因となった数々の観光施設開発の中で、現在満足な稼動状態にあるのはスキー場(マウントレースイ)だけです。


こういううらぶれた感じのレジャー施設をみると、やはり子供の頃感じたさみしーーい感じを思い出しますね。




第三部では、夕張市内でももっと奥部にあり、いまやダムの下へ沈む運命にある大夕張周辺の写真を貼っていきます。
.04 2011
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google earthで気になったスポット5選(前半)

こういうことすると、「ヒマだなw」と言われるとは思いますが、ブラウザから閲覧できるようになって一層便利になったgoogle earthから最近気になっているスポットを5つピックアップしてみました。順位は適当です。




第5位:シムシティの「地形モード」で無茶苦茶にいじったみたいなストックホルム

北欧の美しい都市というイメージのストックホルムだけど、上空から見ると氷河に削られまくった土地のため海と陸地がごちゃごちゃに混ぜ合わされたどうみても住みづらそうな地形です。どうにも中二病くさい。


大きな地図で見る

水上都市で言うと、アムステルダムの堀っぷりがやはり突出していて楽しいですよね。
防御しすぎで。

大きな地図で見る




第4位:最北の街めぐり

昔から地図帳を眺めながら、グリーンランドやカナダの北部の広大な地域にはどんな街があるんだろうと妄想し続けていましたが、今は心ゆくまでそういった街の航空写真や地上の様子を眺めることができて素晴らしいですね。

北極圏の街ですが、じっくり見て面白かった街は
・カナダ北極圏のレゾリュートベイ
・グリーンランドのカーナーク
・ノルウェーのトロムセー
などたくさんありますが、ぱっと見のインパクトでアラスカのノームを選んでみました。


大きな地図で見る

ページが重くなったので、3位以降は後編で。
.15 2011
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天然なんて19世紀で終わってた

たまにはブログでも書かないと張りあいがないので、書評でも。


大気を変える錬金術――ハーバー、ボッシュと化学の世紀大気を変える錬金術――ハーバー、ボッシュと化学の世紀
(2010/05/21)
トーマス・ヘイガー

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空気から固定窒素をつくるハーバー=ボッシュ法の発明は、
化学の力で文字どおり世界を一変する半世紀をひらいた。
固定窒素は“賢者の石”であり、「それを探そうとする者はそれぞれ強迫的な思いにとりつかれ
それぞれの悲劇を味わった」

-アマゾンの内容紹介より-

 
 なぜ窒素がそんなに問題なのかと言えば、人間、というか生物すべての身体の構成要素のうち酸素と炭素は植物が光合成してくれれば生成されるんだけど、窒素というのはどうにも厄介なもので特定の微生物が「固定」してくれないと生物は利用することができない代物なんですな。

 畑で言えば、豆類しか固定ができないもんですから、昔は連作したあとは大豆なんかをいれて地力の回復をはかりました。

 で、この窒素の不足が人類農業史において最大のボトルネックになってたわけです。必死こいて糞尿まいたり魚を肥料にしたりして窒素を畑に散布する歴史が何千年と続きました。要するに窒素の再利用ですね。

 大気の大半は窒素なのに固定できないためにお預けプレーですよ。

 で、そのボトルネックを解決しちゃったり、ナチスに大量の弾薬を提供したり、最後には人工石油までつくっちゃうってのがハーバーとボッシュ、二人の物語です。


 ハーバー・ボッシュ法による肥料の生産が意味するところは、現代の農産物の中の窒素の半分は工場で生産されているということです。その原料はなんと水と空気と石油(石炭)です。

 農産物の半分ということは、それを食べている人間の身体の中の窒素も半分は工場から供給されているということですね。そしてハーバー・ボッシュ法は大量の化石燃料の消費でなりたっていますから、私たちの身体のかなりの部分化石燃料でできているということもできます。車や発電所と同じように、人間や家畜も石油を間接的には食べているんですね。

 この革命、空気から窒素をとりだす錬金術にあらためてビックリしました。

 ビックリといえば、この本の内容も相当インパクトでかいですね。


ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)
(1992/08)
本川 達雄

商品詳細を見る


おもしろいエピソードとしては、恒温動物と変温動物での接触したエネルギーがどのくらい身体の成長に利用されているか、という話がありますね。

つまり食事で摂取したエネルギーのうち、どのくらいの割合が単なる消費や排泄で消えて行くんじゃなくて身体の成長に利用されるのか?っというデータがでてるんです。



















成長 呼吸
恒温動物 2% 77% 21%
変温動物 21% 49% 30%


そりゃあトカゲの尻尾は切れてもまた生えてくるわけです。

畜産は効率を求めるなら変温動物はやめてカエルや虫を肥育したほうがいいかも!って話ですね。
21世紀の畜産はそっちのほうに行くかもしれません。
.27 2011
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ぷろふぃーる

京都在住の阿部です。 地図と薀蓄で一杯やりましょっ なんとなくデザインをもとに戻しました

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